ふぁいやーわーくす
Fireworksの新しいやつを今頃買った。
僕はAdobe Creative Suite Design Premiumを買ったんだけど、その中にFireworksは入ってなくて、仕方がないからmacromedia時代のStudio MX 2004に入っていたFireworks MX 2004ってのを使ってたんだけど、これが本当に製品版か?ってくらい動いてくれなくて。色を数値入力してもその通りにならないし、テキストエディタからテキストをコピーしてペーストするだけで、時計(っていうかなんか虹色のクルクル)が30秒くらい出てるし、なんかその他にも色々不満だらけで、いいかげん我慢できなくて買った。
ようやく普通に動くようになったけど、あのMX 2004っていうのは何だったんだろう。OS Xに移行したから仕方なく使ってたけど、Fireworks 4の方が全然良かったよ。まったっくもー。
eneloop
僕はワイヤレスのMighty Mouse を使っているのですが、これがずいぶんとバッテリーの持ちが悪い。家に買い置きしてあった電池だったので、ひょっとしたらそっちの問題かもしれないのだけれど、とにかく二ヶ月と持たないような有様では、ちょっとさすがにどうかと。
で、仕方ないので、以前から気になっていたeneloopを買ってきました。まだ使ってないので使い心地は分かりませんが、とりあえずデザインはとっても気に入りました。Mighty Mouseによく似合う。並べるとまるでAppleの純正のようです。
一昔前の家電なんていうのは、なかなか気の利いたデザインが無くて、わざわざ海外メーカーの物を選んで買っていたような感じでしたが、最近はわざわざ探さなくても、国産で十分、それどころか中国や韓国の製品でもスタイリッシュな物が多くなってきました。デザインも重要な購買基準になったんでしょうね。
問題は、躁なんです — 正常と異常のあいだ 春日武彦
正直に告白しよう。私がこの本を手に取った時、心のどこかで、あたかも見世物小屋を覗くような、悪趣味で底意地の悪い好奇心があったことを。
精神科医、春日武彦の手になる本書は、一般書では珍しい「躁(そう、鬱の反対)」のみを取り上げた本である。本の中で著者は、常識では理解し難い奇妙な言動や不可解な事件に対して、躁という視点から思考を深めようとている。
著者によると、躁病の人たちの世界観は単純なのだと言う。まず始めに、(金持ちになりたい、などの)世の中に迎合した表面的な価値観にシフトした人を
まことに薄っぺらに見える。彼らの生き方は世渡りとしては正しい。けれども、その正しさはあまりにも「分かりやす過ぎる」。そこには主体性が感じ られない。正論の退屈さをそのまま体現したイメージがある。そのような人は信用しかねる。いつ本音に目覚めてレールから外れてしまうか分からないような危 うさすらある。
とした上で、躁病の人たちに対して
そして躁病の人たちも、その世界観はきわめて単純である。色・金・地位・権力・名声といった俗っぽいものが第一義となる。尊大かつ貪欲となり、喝 采と賞賛を求めてやまなくなる。そのようなものがおよそ自分には似つかわしくなかろうとも、活力に充ちあふれ驕り高ぶった精神には、えげつないくらいに金 ピカでこれみよがしのものこそが必要となる。
とし、光はあっても影の無い世界、騒がしく休むことを知らない世界が躁病の世界だと説明している。この後も、著者は躁病または軽躁状態の人間がいかに安っぽく薄っぺらいかを、数々の事例を交えながら、繰り返し説明していく。
躁状態のまま「笑っていいとも!」に出演し、周囲の制止も無視して40分間しゃべり続けた作家の有吉佐和子。世界的な建築家でありながら、些細な 事に義憤を感じて都知事選に立候補し、ラメ入りのおかしな衣装で馬鹿げたパフォーマンスを繰り返した黒川紀章。その他にもエリートサラリーマンから詐欺 師、ハイジャック犯まで、本書には有名無名を問わず様々な登場人物が登場する。
著者が解説するこれらの登場人物は、いづれも傲慢でエネルギッシュでありながら、どこか間抜けで滑稽であり、であるが故に何とも言えない物悲しさを感じさせる人物ばかりである。
躁というのは鬱よりも状態は深刻で、鬱の底が抜けた状態が躁なのだそうだ。ひょっとすると躁とは、辛くて辛くてどうしようもなくなった時に発動する、最後の防御装置なのかもしれない。
わたしの臨床経験からすると、誇大妄想に囚われた人たちには、どこか言い訳がましいというかわざとらしいトーンが付随している。うっかり気を抜く と我に返ってしまいかねない、「しらふ」の自分に戻ってしまいかねない──そんな危うさを心のどこかに直感し、それを打ち消し振り払うために無理やりテン ションを上げているような焦燥を感じ取らずにはいられないのである。これは痛々しい。見苦しい。居たたまれない。結果的には上機嫌で人生をまっとうしたよ うに映っても、どこか根源的な違和感というか、片付かない気持ちに苛まれて、常に不安といらだちがあったのではないか。自己欺瞞とパフォーマンスでいつか 心に安らぎを得られると錯覚したところに大きな間違いがあったのだろう。
誰だって多少自分を騙して何かを演じる事はあるだろう。僕だってそうだ。たしかに躁的なハイテンションは、陽気でコミカルな印象があるため、集団 の中では居場所を見つけやすいのかも知れない。しかし書き割りの舞台で陳腐な演劇でもやっているような人生とはいったい何なのか? 下世話な覗き見根性で 読み進めたが、いい年こいて、人生について考えてしまう一冊だった。
しかしそれ以上に著者の躁患者に対する皮肉ばかりが目につき、どうにも意地の悪いインテリの与太話を聞かされているような気分である。
ナイシトールをキメた
腹が輪切りになるCMでおなじみのナイシトールを買ってきた。
調べてみると漢方薬では異例の年間売り上げ高50億円の大ヒット商品らしい。
しかしどうやら中身は昔から売られている防風通聖散という漢方薬で、小林製薬のオリジナルではないそうだ。
その防風通聖散はおもに皮下脂肪に作用するため、内蔵脂肪が減るとうたっているナイシトールのテレビコマーシャルは薬事法違反の疑いがあるんだそうだ。(小林製薬独自で内蔵脂肪が減るという研究データは確認していない)
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ただ、個人的には皮下脂肪もたっぷりついているので、何の問題も無い…。
Flickr
サイドバーにFlickrのブログパーツみたいなのを付けてみた。
田舎にて
Super Macro Lens Addiction
一時期のショッピングアディクションから抜け出したと思ったら、今度はスーパーマクロレンズアディクションである。スーパーマクロレンズで覗くミクロの世界にどっぷりハマってしまった。
写真を専門でやっている人が見たら、花の写真なんてつまらない写真なんだろう。そんな事は僕だって判っている。判っちゃいるけど止められないのだ。散歩中に美しい草花が目に留まると、それを自分の物にしたいという欲望に負けて、ついついシャッターを切ってしまう。 そこにクリエイターとしての理性は効かない。それほどに躍動する生命力は見る者を魅了するのだ。
黄金比やフラクタルなど、形の美について数学的に計っていく方法があるが、春先のこの胸のときめきはそれらの論を十分に実証しているのではないだろうか。
DigitalCamera
最近またカメラにハマっている。 新しいカメラを買ったのだ。春になって草花がきれいだという事もあり、とにかく暇を見つけては近所の公園でパシャパシャとやっている。近所の井戸端会議で「ここ最近、あぶないおじさんがこの辺をウロウロしているから気をつけよう」などと言われていないか心配だが、まぁ本当に写真を撮っているだけなので問題ないだろう。
新しいカメラには通常のマクロに加えてスーパーマクロというモードが付いている。上の写真は蝉の抜け殻だが、見慣れた物でもスーパーマクロで切り取るとドキッとするような表情を見せる。森山大道は犬の視線だが、こいつは虫の視線か。
そして新しいカメラが何よりすばらしいのは、それが携帯電話でもあるという事。つまり、この写真はカメラ付き携帯で撮っているのだ! こちらに撮った写真をアップしてあるが、全てSonyEricsonのSO905iCSという機種で撮った。普段の生活の中でふと目に止まった物を高画質で記録できることが、こんなにワクワクすることだとは。
DynaBookとしての携帯電話
最近携帯電話が楽しくて、いろいろ買ってはfomaカードを差し替えて使い比べて見ているのですが、internetが使えるようになってから本当にいろんなアイデアが現実の物になってきていると感じます。Appleが提唱したPDA(Personal Digital Assistant)やアラン・ケイの提唱したDynaBookがいよいよ現実の物になってきた。
PDAについてはこちらに良い説明があります。少し引用。
PDA(Personal Digital Assistant)とは当時のアップルの CEO であったジョン・スカリ氏が提唱した概念で、コンピュータを人々の生活の手助けとして利用すること。初めて発売された PDA 製品が MessagePad なので「PDA = 電子手帳の親戚」図式が一般化して現在でもそう思われているが、テレビや電話、冷蔵庫などより生活に密着した様々な機器にコンピュータを取り入れ、それら を便利に活用することによってより快適な生活を提供しようというのが本来の概念だ。
Dynabookについてはこちらを引用しておきます。東芝のDynaBookは残念ながらただのノートパソコンですが、これはもう携帯電話で実現している。
「DynaBook」は、アラン・ケイ氏が提唱した”Personal Dynamic Media”という論文の中に理想のコンピュータとして名付けられ、登場します。「将来、コンピュータは老若男女、誰もが使えて双方向でコミュニケーションが出来るツールになり、オーディオも聴け、新聞も読める…」という考えがあり、東芝のPC開発はそんな理想のマシン作りを目指すという願いからはじまり、”DynaBook“と名称がつけられました。創造的な人間のためのツール、それこそがまさにDynaBookなのです。










